人身傷害保険の請求の仕方によって受取額が変わる可能性があるというのは本当でしょうか?

人身傷害保険金と損益相殺

 人身傷害保険は,約款の損害額基準に基づいて補償が行われる保険商品です。

 かつて,加害者に対する損害賠償請求に先立って人身傷害保険金が支払われた場合,人身傷害保険を支払った保険会社(以下,「人傷社」といいます)の代位の範囲について学説上争いがありました。

 この点について,最一小判平成24年2月20日民集66巻2号742頁は,「保険金の額と被害者の加害者に対する過失相殺後の損害賠償請求権の額との合計額が裁判基準損害額を上回る場合に限り,その上回る部分に相当する額の範囲で保険金請求権者の加害者に対する損害賠償請求権を代位取得する」との判断を示しました(訴訟基準差額説)。 

 つまり,裁判基準の損害額を基礎として計算した自己過失分を上回る部分について,人傷社が代位取得することになります。

人身傷害保険金請求の先後問題

 人身傷害保険の約款基準と裁判基準では支払額に差があるところ,本来人身傷害保険は約款の損害額基準に基づいて補償が行われる商品ですが,平成24年判例により,人身傷害保険を先に請求した場合,自己過失分について人傷社から裁判基準での補償を受けることができるようになりました。

 一方,人身傷害保険を後から請求した場合についての最高裁判例がなかったため,人傷社から受け取ることができる補償が裁判基準によるものか,人身傷害保険の約款の損害額基準によるものかが争点となっていました。

 この点について,大阪高判平成24年6月7日高等裁判所民事判例集65巻1号1頁は,以下のように文理解釈によるべきだと判断しました。前記大阪高判については上告受理申立てがなされましたが,最三小決平成25年11月5日決定で上告不受理となって確定しています。

  1. 客観性を要請される約款の解釈方法として,訴訟基準差額説のような約款の文理からかけ離れた解釈は採り得ない。
  2. 保険会社が裁判外で任意に保険金額を算定して支払うことが著しく困難になり,すべからく裁判による決着を余儀なくされることになるが,簡易迅速に保険金支払額を算定できる傷害保険の性格に反する。
  3. 人傷保険の保険料体系に見合わず保険業界が混乱に陥る。

 その後,東京高判平成26年8月6日判例タイムズ1427号127頁も以下の通り,前記大阪高判と同様に文理解釈によるべきだと判断し,同判決も最高裁三小平成27年2月10日決定で上告不受理となって確定しています。

  1. 保険契約に基づき保険者が支払うべき保険金は,当該保険契約の内容である約款に基づき算定すべきものであり,訴訟基準差額説は約款の文理に明らかに反する。
  2. 人身傷害損害金を算定するに当たって,訴訟基準損害額を認定する必要があるところ,訴訟外の示談は裁判所の関与なしに行われるものであり,事案によってはこれらの認定に困難を来すことも想定され,保険実務に混乱を来すことにもなりかねない。

 以上の大阪高判や東京高判の考え方によれば,人身傷害保険の請求の先後によって総取得金額に差が出るのは約款の解釈上やむを得ないということになります。

実務上の対応

 前記大阪高裁や東京高判がいずれも上告不受理で確定したことから,人身傷害保険の約款の解釈については文理解釈をとるべきことが明らかになったと考えられます。

 しかし,最三小判平成24年5月29日集民240号261頁において,田原睦夫裁判官が補足意見で「人身傷害補償条項に基づき保険金を支払った保険会社が代位取得する損害賠償請求権の範囲は,裁判基準損害額を基準として算定すべきであると解した以上,保険金の支払と加害者からの損害賠償金の支払との先後によって被害者が受領することができる金額が異ならないように,現行の保険約款についての見直しが速やかになされることを期待するものである。」と述べたこともあり,保険会社によっては,支払いの先後によって総取得金額に差がでないようにする改定が行われています。

 例えば,損保大手の損害保険ジャパン株式会社の「THE クルマの保険(保険期間の開始日が2023年1月1日以降)」の約款を見ると,第3章 人身傷害条項6条(3)では,「 ⑴および⑵の規定にかかわらず、賠償義務者があり、かつ、賠償義務者が負担すべき法律上の損害賠償責任の額を決定するにあたって、判決または裁判上の和解において⑴および⑵の規定により決定される損害額を超える損害額が認められた場合に限り、賠償義務者が負担すべき法律上の損害賠償責任の額を決定するにあたって認められた損害額をこの人身傷害条項における損害額とみなします。ただし、その損害額が社会通念上妥当であると認められる場合に限ります。」と定められています。

 つまり,判決または訴訟上の和解で認めれた損害額が人身傷害保険の基準によって算定される損害額を上回る場合,判決または訴訟上の和解で認められた損害額基準で人身傷害保険が支払われることになり,「損害額が社会通念上妥当であると認められる場合」との留保付きながら,人身傷害保険を先に請求する場合と後から請求する場合で差が生じない扱いが取られています。

 なお,自己過失部分について裁判基準額で補填しようとすると,ほとんどの場合に訴訟を提起する必要が生じると考えられます。

 人身傷害保険を先に請求した場合,示談成立には加害者(が加入する保険会社)と人傷社の間で人傷社の求償範囲について合意が成立している必要がありますが,訴訟外では合意の成立がなかなか見込めないのが実情です。

 自賠責保険金を先に人傷社が回収した結果,加害者側の保険会社が自賠責保険金相当額を既払い金として控除することを主張してくるケースも見られます。

 自賠責保険金の回収が早いもの勝ちになっているため,人身傷害保険からの支払いを先行すると,人傷社と加害者側の保険会社との間で調整がつかず,訴訟提起を強いられることも少なくありません。

 一方,人身傷害保険を先に請求しなくても,加害者と示談した損害額を基礎に人身傷害保険金を支払うとの同意を人傷社から得ることができれば,加害者との示談成立後に示談金の基準で自己過失部分の填補を受けることは不可能ではありません。

 実際に,当事務所の解決事例で,人傷社から事前に書面で同意を取り付けた上で加害者の加入する保険会社と示談交渉し,示談金の基準で自己過失部分の人身傷害保険金の支払いを受けたものもあります。

 とはいえ,前記解決事例はレアケースであり,約款の規定にない処理を行う同意を人傷社から得るのは困難です。

 以上のとおり,自己過失部分について裁判基準額で人傷社から填補を受けようとすれば,訴訟を提起した上で,判決ないし和解で解決しなければならない可能性が高いといえます。

 そして,訴訟提起前に人身傷害保険を先に請求する必要があるかについては,前述の損保ジャパンのような約款の規定の有無によって異なってきます。

参考裁判例

大阪高判平成24年6月7日高等裁判所民事判例集65巻1号1頁


 (a) 最高裁判所平成二〇年一〇月七日判決の指摘-保険約款規定の重要性
 しかしながら、あくまでも支払保険金の算定は、保険契約者と保険会社との契約、すなわち約款に定める計算規定によって定められるべきである。
 最高裁判所平成二〇年一〇月七日第三小法廷判決・裁判集民事二二九号一九頁、判例時報二〇三三号一一九頁は、人傷保険金支払が先行した事案において、保険代位の成否及びその範囲を判断するに当たっては、保険約款の定め等、保険契約の内容を正確に確定した上で、必要な限度で約款解釈を行う必要性を指摘している。
 この最高裁判決の指摘は、本件のような賠償金支払先行の事案について、支払うべき人傷保険金を算定するに当たっても、まず保険約款の規定を重視し、保険約款の規定に則って解釈すべきことの重要性についても、妥当するものである。
  (b) 本件人身傷害補償特約第九条、第一一条の文理
  ① 被控訴人らが主張する「保険金請求権者の権利を害さない範囲」(本件一般条項第二四条、本件人身傷害補償特約第二一条)は、控訴人の被保険者に対する人傷保険金の支払が先行し、控訴人が損害賠償義務者に対して求償する場合の規定である。
 このことは、本件一般条項第二四条①、本件人身傷害補償特約二一条①の規定から明らかである。
  ② これに対し、本件計算規定①は、本件人身傷害補償特約第九条(損害額の決定)①で、「控訴人が保険金を支払うべき損害の額は、被保険者が傷害、後遺障害または死亡のいずれかに該当した場合に、その区分ごとに、それぞれ人傷損害額算定基準に従い算出した金額の合計額とします。」と規定し、本件人身傷害補償特約第一一条(支払保険金の計算)①で、一回の人身傷害事故につき控訴人の支払う保険金の額は、被保険者一名につき、上記九条①の額から、自賠責保険支払額、任意保険支払額、賠償金支払額、労災補償給付額等の合計額を差し引いた額とします。」と規定している。
 すなわち、上記第九条は、「控訴人が保険金を支払うべき損害の額は、人傷損害額算定基準に従い算出した金額の合計額」と明記し、第一一条は、「保険金の額は、上記九条の額から自賠責保険支払額、任意保険支払額、賠償金支払額、労災補償給付額等の合計額を差し引いた額」と明記していて、そのどこにも、「保険金請求権者の権利を害さない範囲」(本件一般条項第二四条、本件人身傷害補償特約第二一条)などという文言は記載されていないのである。
  ③ 本件人身傷害補償特約第九条、第一一条は、控訴人が被控訴人らに支払うべき人傷保険金の算定方法(損害額の決定、支払保険金の計算)について定めた規定であり、その文理は二義を許さないほど明確であって、保険代位という異なる場面について規定した「保険金請求権者の権利を害さない範囲」(本件一般条項第二四条、本件人身傷害補償特約第二一条)をもって、上記第九条は、第一一条の規定を歪めて解釈することなど、本件約款の解釈としては不可能である。
  (c) 約款解釈の不合理性
 しかも、控訴人の支払保険金額につき、被控訴人らが主張するとおりに訴訟基準差額説により算定するとなると、約款の解釈の不合理性は顕著となる。
 すなわち、被控訴人ら主張の算定方法は、本件事故における◯の過失割合と実損害額(裁判基準による損害額)を決定した上、同実損害額のうち、◯の過失割合(被控訴人らは三割と主張)に相当する額を算定しているのであるから、被控訴人らは、約款の解釈論としては、保険金額から控除すべき金額について、「保険金請求権者の権利を害さない範囲」のものに限定するなどと主張しているものの、支払うべき保険金額の実際の算出過程においては、人傷基準損害額三五六五万〇三二五円すら全く無関係になってしまい、本件約款における人身傷害補償特約第九条の文理を全く無視した結果となる。
 つまり、被控訴人ら主張の約款の解釈論は、約款を全く無視して算定した結論をもって、約款を限定解釈した結果であるとして、結果だけ辻褄合わせをしているにすぎず、客観性を要請される約款の解釈方法として、およそこのような約款の文理からかけ離れた解釈は採り得ないといわなければならない。
  (d) 簡易迅速に保険金支払額を算定できる傷害保険の性格に反する
 ところで、人傷保険は、いわゆる傷害保険の性格を有するものであり、保険会社と保険契約者との契約(約款)により保険金支払額が定められている。そして、その保険金額については、簡易迅速に算定できるように定められており、被保険者が身体に傷害を被ることによって被保険者が被る損害に対し、約定された人傷損害額算定基準に基づき積算された損害額が填補される仕組みとなっている。
 すなわち、本件人傷損害額算定基準(本件約款につき別紙一参照)では、傷害による損害(休業損害、慰謝料)、後遺障害による損害(逸失利益、慰謝料、将来の介護料)、死亡による損害(葬儀費、逸失利益、慰謝料)について、一般的な訴訟における損害賠償基準よりも低額とされており、その代わり、上記各損害額の認定を定型化して争いの余地を少なくしている上、被保険者の過失の有無にかかわらず人傷保険金を支払うものとしているので、過失割合に関する見解の相違にかかわらず、簡易迅速に損害額を算定できることになっており、保険事故発生後すみやかに保険給付がされるような仕組みになっている。
 ところが、被控訴人ら主張のような本件計算規定①の解釈によれば、交通事故の加害者に対する損害賠償請求訴訟の確定判決が存在する場合は格別、そうでない限り、保険金額を算定するに当たり、訴訟基準による損害額及び被保険者の過失割合を確定する必要があり、本来、保険会社が人傷損害額算定基準(約款)に従って簡易迅速に保険金額を算定して支払うべき人傷保険金(傷害保険)請求の局面において、保険会社が裁判外で任意に保険金額を算定して支払うことが著しく困難になり、すべからく裁判による決着を余儀なくされることになるが、このこと自体も、およそ人傷保険(傷害保険)契約に基づく人傷保険金(傷害保険金)の支払方法として不合理な結論である。
  (e) 人傷保険の保険料体系に見合わず保険業界が混乱に陥る
 前記で述べたとおり、人傷損害額算定基準(本件約款につき別紙一参照)では、傷害による損害(休業損害、慰謝料)、後遺障害による損害(逸失利益、慰謝料、将来の介護料)、死亡による損害(葬儀費、逸失利益、慰謝料)について、一般的な訴訟における損害賠償基準よりも低額にされており、これに対応して人傷保険料金が設定されている。
 ところが、被控訴人らが主張する訴訟基準差額説を採用し、損害額について一般的な訴訟における損害賠償基準によると、人傷損害額算定基準で定められていた保険金支払額よりも実際の保険金支払額が高騰し、人傷保険が前提としている保険料体系に見合わず、保険業界が混乱に陥る危険性がある。
  (f) 人傷保険金の算定基準も保険会社毎に異なっている。
 加えて、控訴人が主張しているとおり、平成二二年四月に保険法が施行されたことに伴い、損害保険会社各社は、人傷保険を含む約款の改訂を行っており、人傷保険金の算定基準も各社で異なっているが、被控訴人ら主張のとおり人傷保険金の金額を訴訟基準差額説に従って算定すると、全ての損害保険会社の人傷保険金が裁判基準によって算定された実損害額のうちの被害者の過失割合相当額ということになってしまい、より一層不合理な結論となる。
  (g) まとめ
 以上のとおり、被控訴人らが主張する訴訟基準差額説は、約款の解釈論としてはおよそ採用する余地のないものというべきである。


東京高判平成26年8月6日判例タイムズ1427号127頁


 (1) 前記認定事実ク(ウ)のとおり,本件条項によると,控訴人が支払うべき人身傷害保険金は,人身傷害基準損害額に本件約款第2章第7条の費用(権利保全行使費用等)を加えた額から,保険金請求権者が賠償義務者から既に取得した損害賠償金の額等を控除した額であるところ,被控訴人が受領した本件賠償金451万6224円が人身傷害基準損害額347万1608円を超過している以上,控訴人が支払うべき人身傷害保険金はないことになる。
 (2) これに対し,被控訴人は,①人身傷害保険が,被保険者の過失の有無にかかわらず実損害を補償することを目的とする保険であり,被保険者も,自らの過失割合をカバーするための特約と認識して契約し,保険料を負担しているものであって,そのような被保険者の通常の認識は保護されるべきであること,②人身傷害保険金と賠償金の支払の先後によって被害者が受け取れる金額に違いが生じることは不合理であることから,訴訟外の示談に基づく賠償金の支払が先行する場合において,人身傷害保険金は,保険金額及び人身傷害基準損害額を上限として,訴訟基準損害額から既払賠償金額を控除した額とすべきである旨を主張する。
 しかし,確かに,保険契約者が人身傷害保険に加入することの動機として,被保険者の過失の有無にかかわらず実損害の補償を受けることを期待していることがうかがわれるとしても,保険契約に基づき保険者が支払うべき保険金は,当該保険契約の内容である約款に基づき算定すべきものであり,被控訴人の上記主張における本件約款の解釈は,本件条項の文理に明らかに反するものである。このように,一定の場合について受領できる保険額が保険約款上に明記されている以上,保険契約者において,これに反する保険金を受領することができる合理的な期待があるとはいえない。のみならず,実際上も,被控訴人の上記主張を前提とすると,人身傷害損害金を算定するに当たって,訴訟基準損害額を認定する必要があるところ,訴訟外の示談は裁判所の関与なしに行われるものであり,事案によっては(事故当事者間で正確な訴訟基準損害額を算定しないまま客観性を欠く示談がなされ,その後,加害者側の協力が得られない場合など),これらの認定に困難を来すことも想定される。被控訴人主張の解釈は,保険実務に混乱を来すことにもなりかねない。


 

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