逸失利益に関する学説及び判例
後遺症による逸失利益の考え方については、差額説と呼ばれる説と、労働能力能力喪失説と呼ばれる説の間で争いがあります。
差額説
差額説は、交通事故がなければ得られたであろう収入と事故後に現実に得られる収入の差額を損害と考える見解です。差額説によれば、本件のように事故の前後で減収がない事例では逸失利益の損害が認められないことになります。
労働能力喪失説
一方、労働能力喪失説では、労働能力の全部又は一部の喪失自体を損害と考え、現実の減収があるかどうかは労働能力の低下の程度を評価するための資料として用いています。
労働能力喪失説によれば、本件のような減収がない事例でも、労働能力の低下が認められれば逸失利益の損害が認められることになります。
判例の見解
最高裁判所の判例は、差額説に近い立場を取りつつも、特段の事情が認められる場合には労働能力低下による損害を認める余地を残しました。
最二小判昭和42年11月10日民集21巻9号2352頁
損害賠償制度は、被害者に生じた現実の損害を填補することを目的とするものであるから、労働能力の喪失・減退にもかかわらず損害が発生しなかつた場合には、それを理由とする賠償請求ができないことはいうまでもない。
最三小判昭和56年12月22日民集35巻9号1350頁
かりに交通事故の被害者が事故に起因する後遺症のために身体的機能の一部を喪失したこと自体を損害と観念することができるとしても、その後遺症の程度が比較的軽微であつて、しかも被害者が従事する職業の性質からみて現在又は将来における収入の減少も認められないという場合においては、特段の事情のない限り、労働能力の一部喪失を理由とする財産上の損害を認める余地はないというべきである。
ところで、被上告人は、研究所に勤務する技官であり、その後遺症は身体障害等級一四級程度のものであつて右下肢に局部神経症状を伴うものの、機能障害・運動障害はなく、事故後においても給与面で格別不利益な取扱も受けていないというのであるから、現状において財産上特段の不利益を蒙つているものとは認め難いというべきであり、それにもかかわらずなお後遺症に起因する労働能力低下に基づく財産上の損害があるというためには、たとえば、事故の前後を通じて収入に変更がないことが本人において労働能力低下による収入の減少を回復すべく特別の努力をしているなど事故以外の要因に基づくものであつて、かかる要因がなければ収入の減少を来たしているものと認められる場合とか、労働能力喪失の程度が軽微であつても、本人が現に従事し又は将来従事すべき職業の性質に照らし、特に昇給、昇任、転職等に際して不利益な取扱を受けるおそれがあるものと認められる場合など、後遺症が被害者にもたらす経済的不利益を肯認するに足りる特段の事情の存在を必要とするというべきである。
裁判例の傾向
多くの裁判例では、事故後の減収がなくても労働能力の喪失が認められる場合、特段の事情を認定して逸失利益を認め、事案に応じて労働能力喪失率表より低い喪失率を認定するなどの調整を行っています。
日弁連交通事故相談センター「民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準」の平成20年版下巻に掲載されている中園浩一郎裁判官の講演録「減収がない場合における逸失利益の認定」において下級審の裁判例が分析されていますが、その内容によりますと、多くの裁判例が逸失利益を認めています。
逸失利益を認めた裁判例においては、以下のような考慮要素が特段の事情の認定の上で検討されています。
- 事故前に比べ、本人が努力し収入を維持しているのか。
- 昇進・昇給等における不利益が生じているか。
- 業務へ支障を来しているか。
- 退職・転職を余儀なくされる可能性があるか。
- 勤務先の規模・存続可能性。
- 勤務先の配慮や温情により、収入が維持されているに過ぎないのか。
- 生活上の支障が生じているか。
このように、特段の事情が認められれば、減収のない本件のようなケースでも逸失利益が認められることになります。